九州を中心に猛威を振るった豪雨災害は、熊本県の会員の住宅も飲み込んだ。
球磨村渡地区の小川一弥さん(78)。築10年の平屋に典子夫人(75)と暮らす。球磨川沿いにあり、支流の「小川」もすぐ近く。支流を挟んだ対岸には14人もの犠牲者を出した特別養護老人ホーム「千寿園」がある。
豪雨災害取材で現地入りしていた筆者は、取材の合間に全日写連会員宅を慰問。避難所に身を寄せていた小川夫妻とは7月9日に面会できた。九死に一生を得たという4日当日の「脱出劇」を語ってもらった。
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4日は未明から猛烈な雨が降り続き、午前3時半ごろから村の防災無線が「避難してください」を繰り返していた。
辺りは停電しており真っ暗。足が悪い典子さんを気遣い、避難するのは危険だと判断した。
午前5時すぎ、自宅から50メートルほどにある支流を見に行った時にはまだ余裕があった。しかし、午前6時ごろには道路にまで水が流れ込んできた。
車とバイクを避難させようと、200メートルほど離れた高台に移動。その10分後、水はひざ丈の高さになり、家の前には濁流が押し寄せた。
室内の畳が浮き始めたため、家の中の荷物を高い位置に上げていった。それでも水かさはどんどん増していく。「これでは駄目だ」。身の回りの物と、一眼レフカメラ2台、望遠レンズを抱え、屋根裏の物置に避難した。
午前7時には、水は屋根裏にまで到達した。とっさにカメラ2台を天井の梁にくくり付けた。望遠レンズは毛布にくるんで梁の隙間に押し込んだ。
屋根裏に窓はなく壁しかない。「死を覚悟しましたね」と小川さん。辺りを見回すと、2本の鉄パイプ状の棒が目に入った。趣味でお花をやる典子さんの華道の道具だった。
「とにかく必死でした」。壁を破ると決心。鉄パイプ2本を握りしめ、壁に穴を開け始めた。「ドーン、ドーン」。隣人が驚くほどの激しい音が鳴り響いた。30分かかってようやく壁が貫通。大人一人が通れる大きさにまで広げて、屋根の上に脱出した。
家の外に出てからも大変だった。濁流は屋根の高さにまで迫っていた。「流されたらいっかんの終わりだ」。典子さんと励まし合った。
「早く、助けてー」。
その叫び声は、100メートルほど離れた高台にある親類宅にまで届いた。そこに身を寄せていたラフティング会社のスタッフが気づいてくれた。そのラフティング会社から流出していたボートが、運良く近くに流れ着き、そのボートに乗って救出された。
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屋根裏に避難させた一眼レフ2台と望遠レンズは無事だった。しかし、家財道具はすべて水没。高台に避難させた車とバイクも予想以上の濁流に流された。
パソコン4台にプリンター2台、ここ10数年間の写真データが入ったハードディスク3台も一緒に飲み込まれた。7月中旬から予定していた写真展用にプリントしていた作品もすべてが濁流の中に。「せめて写真データだけでも助かってくれれば」と悔やむ。
自宅から歩いて数分にある球磨川と支流。鳥好きの小川さんはそこでカワセミやヤマセミを撮るのが好きだった。「慣れ親しんだ球磨川があそこまで姿を変えるなんて」。小川さんのその一言に、改めて自然の怖さを思い知らされた。
(西部本部事務局長 藤脇正真)
小川さん宅。濁流は屋根にまで押し寄せた
屋根裏から鉄パイプで開けた穴
濁流にのみ込まれた室内
避難所の段ボールベッド上で語る小川一弥さん
※募金のお願い このほど九州地方、特に熊本県などを襲った水害で、小川さん以外にも会員で被害に遭われた方々がおられます。東日本大震災、熊本地震に続き、連盟として被災会員の方々へ助け合い募金を実施することになりました。下記の要領で皆様のご協力をお願いいたします。
●募金はゆうちょ銀行からの郵便振替のみ、1000円単位でお願いします。手数料はご負担ください。通信欄に必ず「九州水害募金」と明記し、フォトアサヒに掲載する際の代表者名もしくは団体名を記入してください。9月30日で締め切らせていただきます。
口座記号番号 00150-6-100822 加入者名 全日本写真連盟