全日本写真連盟

「もっと若かったら」は間違いです


「明日、撤収したらそのまま自転車を持って成田直行です」
「えっ、家には戻らないんですか」
「交通費がもったいないし、また出てくるのが面倒ですから」
「今度は何日ぐらい行ってくるんですか?」
「8月22日に帰国の予定なので、二カ月とちょっとですかね」
「えーー それで、体は大丈夫なんですか?」
「癌とは、これからうまく付き合っていくしかないですね」

下川靖夫さん

ひょいと立ち寄った新宿のペンタックスフォーラム。ギャラリーの片隅にかなり走り込んで薄汚れた自転車(ロードバイク)が置いてあり、その傍らに上下ジャージのおじさんがいる。一風かわったギャラリーの光景である。会場では「ヨーロッパとアメリカの絶景を走る自転車の旅5300キロ」という写真展が開かれており、老若男女で結構なにぎわいだ。
ジャージ姿のおじさんは、札幌在住の下川靖夫さん。この写真展の主役である。自転車でめぐった世界の絶景写真は、それ自体素晴らしいが、それ以上に感動、というより仰天したのは、下川さんの軽やかな人生である。

戦中生まれの、今年71歳。サラリーマン時代の1985年、45歳のときにトライアスロンを始め、自転車の練習をかねて日本国中を旅する。その後、「見知らぬ外国の道を自転車で走りたくなった」。48歳のときにアメリカ西海岸を走って以来、北・中・南米からオーストラリア、ヨーロッパ、アフリカと世界54カ国、48、000キロを走破している。70歳の昨年は、アメリカとカナダのロッキー山脈を巡り、68日間で3935キロを走った。最初は記念写真ていどだった写真も、異境の風景を見る度に欲が出て、人にもその地を知って、見てもらいたくなる。コンパクトカメラから一眼レフになり、今では三脚も使用するようになった。
 この6月に出版されたた「世界遺産を巡る自転車旅」(パレード)という写真集には、自転車旅のエピソードが記されている。自転車を盗まれたり、落とした財布を届けてもらったり、交通事故にあったりと、次々とハプニングが起こる。その対処の仕方が実にいい。ハプニングこそ旅の醍醐味と腹をくくっている。すると、不思議にも必ず救いの神が現れるのだ。
                 ◇
「なにかを始めようとするとき、『もっと若かったら』と、30代でも思った。そして、40代、50代でも。それは間違いだと気づいた。『60代でもまだ間に合う。今度はスペイン語で自転車旅行をしようと思った。」(写真集から)
 65歳のときに1月から5月半ばまで南米を自転車で旅する。その途上、エクアドルでホームスティをしながらスペイン語を学ぶ。ひとつきのホームスティ代は5万5000円。ベッドは板の上にマットを敷いただけ、シャワーは水という酷い滞在先。我慢できずに飛び出して、月3万5000円余りのアパートを借りて自炊をしながらスペイン語学校に通う。10代か20代の若者のノリである。67歳で北アフリカを旅したときは、モロッコで40日間、フランス語の個人レッスンを受け、後半の40日間が自転車旅。「金があるからできるんだよ」と、腰の重い自分に言い訳している人のために経費を記すと、レッスン代と滞在費(家賃、食費)込みで約20万円。日ごろ少し切り詰めて生活すれば、決してひねり出せない金額ではない。
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冒頭、癌のことを話しているが、実は昨年のロッキーの旅の途中から「硬いせき」が出るようになり、帰国後に検査入院。家族を通じて肺がん、ステージⅣ(何もしなければ余命6カ月~1年)と告げられる。

「もう、人生は十分楽しんだ。いつ死んでもいい。抗がん剤知慮で苦しむくらいなら早く死んだ方がいいと思っていた。だが、なぜか治療を受けることに決めた。癌が挑戦状を叩きつけてきた。ここで逃げれば男がすたる。常に挑戦を続けてきた人生だった。挑戦を受けるのもよい」 こう決意を固め、昨年9月下旬に一カ月入院し、抗癌剤治療を受ける。無謀というか、ちょっと常人の発想を超えているのが、入院中に札幌マラソンに出場したこと。治療中の副作用はなく、入院中もジョギングは毎日欠かさない。医師も「どっちでも良い」というので出場し、ハーフを完走した。治療の結果、悪性の胸水はなくなり、癌細胞も減少しているという。
「客観的には通常の退院とは異なる。癌闘病の一歩のはずだ。今は1年前の健康体と同じように思う。しかし、癌細胞君は『こんなことで勝ったと思ったら大間違いだ。これからが勝負。絶対にやっつけてやるからいまに見ておれ』と思っているだろう」
不屈の、闘志みなぎるタフネスでマッチョなお姿を連想しがちだが、実際の下川さんは、体重52キロと細身。サラリーマン時代は、製鉄会社の研究部門にいて、理系にありがちな(文系の偏見!)ちょっと気むずかしそうな(実際はとってもフレンドリーですよ!)、どこにもいそうなめがねのおじさんである。


しかし、その類いまれなる軽快さと、気負いのなさ。今回も、ちょっと隣町まで行くようなノリで、ペンタックスのギャラリー会場からドイツ、スイス、イタリアとヨーロッパアルプスをめぐる自転車旅に出かけていきました。

著書 「世界遺産を巡る自転車旅」

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2022/08/01
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