本州と淡路島をつなぐ明石大橋が開通して今年4月で15年。人や物の流れが海路から陸路中心になるとともに、島の暮らしや風景は大きく変わった。「島」だった頃はどんな姿だったのか、島の記憶をたどる近藤和敏さん(64)=全日写連淡路支部=の写真連載「淡路『島』だった頃」が朝日新聞兵庫県版(淡路版)で始まった。
橋が架かる前、島と外の世界との窓になっていた洲本港は大にぎわいだったが、そこは旅立ちの場所であり、家族や友との別れの舞台でもあった。連載の第一回は洲本港にたなびくテープ。職場の同僚や新婚旅行に出かける新郎新婦を見送る大勢の人たちの姿がある。撮影は1970年前後。現在の洲本港に往時のにぎわいはなく、船の姿もまばらである。
そのほか、桜や草花が咲く山道を「だんじり」が進む旧津名町中田(淡路市中田)の「伊勢の森神社の祭り」や、のどかなタコの天日干しの光景を写した「岩屋港のタコの干物」、架橋前の鳴門海峡の渦潮の写真などが掲載されている。
淡路で生まれ育った近藤さんは、写真愛好家だった父親の影響を受けて子供のころからカメラに親しんでいた。高校で写真部に入り、本格的に写真を取り始める。約半世紀にわたって島の光景を撮ってきて感じるのは、橋が完成してからの劇的な変化だ。「船が暮らしの中心だったあの頃、時間の流れはとても穏やかだったように思います」
連載写真には、それぞれの場面にたくさんの人が写っている。
「時代を物語るのは、やはり人です。生活、風物、その根底には必ず人がいます。今、個人情報の保護がクローズアップされて、アマチュア写真家は人を撮ることを敬遠しがちですが、私は昔も今もかわらず、声をかけながら人を写し続けています」
(連載は原則、毎週木曜日の掲載)
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